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■ 世の中は「陰と陽」、「光と影」 人の動きは面白い! 考える葦へ戻る世の中には表の世界と裏の世界、陰と陽、光と影、とが必ずあります。そういうことって、写真を撮っているとしみじみと感じるのです。 特に、写真を整理している時にはね! 何故か、好きな写真と嫌いな写真があるのです。 今回はそんな事を考えてみました。 で、心の隙間に興味のない人はここから先を読んではいけません。 ただのつまらない私の独り言ですから! では、本題。 人間の手の動作を例にすると、手のひらを下にすると陰になります。 そう幽霊の手がこれですからね。 陰は静寂、気を静めるものです。 喧嘩を止めるときには、「まあ、まあ、まあ、、、」と言いながら、陰の手で応対します。 これが反対に、陽の手(手のひらを上に向けて)で「まあ、まあ、まあ、、、」と言うと、火に油を注いでいるようなものです。 これではお互いが冷静に対応できる状況ではなくなります。 その一方で陽の手は、陽気です。 そう言えば、昔の歌に「手のひらを太陽に〜♪」ってのがありました。 これなど、正しく陽のことを表している例だと思います。 手のひらでお日様の恵みを受ける行為です。 では、一本〆で! いよー! となると、陽の手になります。 これを陰の手でやったら、、、嫌われます。 (って言うかぁ、その昔、志村ケンがやっていた「変なオジサン!」の手になります。 これを知ってる君も古いなぁ) お神輿を担ぐときにも、「陽の手」は良く似合います。 神様を支えるのは、どう考えても陽でなくてはなりません。 上から摘むような「陰の手」で担ぐお神輿はありません。 神輿を肩でかついで、手は「陰の手」になっていると、どことなく違和感を感じます。 そう思うのは私だけかなぁ。 女性が担ぐ神輿、、、って、私は好きではありません。 その理由は、、、こんなところにあるのです。 陰の手で担ぐな! 別に神輿を女性が担ぐことは否定しませんが、担ぐなら「陽の手」で担いで欲しいと思います。 って、些細なことを言うより、無理な姿勢で担いでいる男性の担ぎ手に よりそれ以上の違和感を感じます。 どうしてかな? ここから、分析は佳境に入って行くのです。 いやー、ワクワクしますねぇ。 背を曲げて担ぐ神輿、、、見たくない風景だなぁ。 本来の神輿はチームワークで成り立つものです。 神様が乗る為の神輿ですから、神輿の本体に他人より近づきたい、触れたいとの気持ちが起こります。 その結果、担ぎ手は神輿を担ぎ上げるのではなく、神輿の方へ寄ろうとして押すのです。 その為に神輿には、そんな皆の思いが集中して常に内側への力が加わるのです。 いわゆる「もむ」という状態です。 この為、力のバランスが崩れることによって、神輿は担ぎ手の意志とは違う方向へ、勝手な動きをしてしまうのです。 それを防ぐ役所も神輿のチームには必要なのです。 背が高いなら、無理な姿勢をしなくても良い、神輿の周りで行き過ぎを 抑えるブレーキをかける役割りだってあるのです。 っていうより、大きな人はその方が向いているのが自然の摂理なの ですけれどね。 だんだん、話が逸れて来たなぁ。 いかん、いかん、、、で、話を元に戻さないと! と、その前に、この話題の結論を! 神輿を取仕切る人へ! 「配置をちゃんと決めろ! いい加減にするな! 担いでいる面々や見ている皆が楽しめないじゃないか!」です。 では話を元に戻し、突然ですが、子供を抱くのは陽ですが、ぶら下げたり摘み上げることは陰なのです。 お日様は陽であり、お月様は陰です。 こうして書くと、陰は良くないかのように思うかもしれませんが、鬼束ちひろさんの「月光」が静かに流れる雰囲気は心を 癒してくれます。 そんな時には、部屋の明かりを落として、聞き入るのが好きですねぇ。 陰と陽とのパランスがあって初めて普通の生活が成り立ちます。 祭りの後の静けさ、、、動的な活動のあとに訪れる虚しさ、、、そのバランスが良いのです。 ■ まとめ 中庸(ちゅうよう)が大切ってことなのでしょうね。 中国の言葉がそれを教えてくれます。 |
尾瀬で幕営しま専科 |
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