■ 味覚の感性について 知人B
人それぞれ異なった味覚の感性を持っているので、なかなか美味い共通の店を探すのは難しいことである。
私が、食べ歩きの中であまり辛口の評価を書かないのも、味覚の感性が絶対的なものでないからである。
と、知人Aと同じ、書き出しではじまったこの文ですか、今回は知人Bのご紹介です。
「え、もしかして、俺の事!」と思っている!、そう貴方です。
(Bさんは幕営専科の常連ですので、彼からのクレームでこの文章は近日中に消滅するかも?)
この知人Bは、味覚について私とは全く異なる感性を持った人である。
B氏曰く、「まずいのは判るが、美味いのは判らない。まずい以外は普通しか感じない!」のだそうだ。
だから、お店に行っても「まずい」とは言うが、それ以外は何も言わない!と言うのが彼の信念というか持論らしい。
男たる者、好き嫌いを言うな!という教育の賜物かもしれません。
私など、店の雰囲気や店員の態度など細かくチェックしながら、更には食べる前に想い出の記念写真まで撮ってしまう
貧乏根性なので、ついつい5段階評価なんてしてしまうのです。
(記念写真は、その一部が我がHPでそば屋さん情報としてご紹介させていただいております。)
ラーメンだと、麺、スープ、トッピングなどに分けて、点数付けたりしてね。
で、知人Bに話しを戻すと、彼も食にはこだわりを持っていて、麺を食べるとき、その辺のスーパーで売っているような
市販の麺汁なんぞは使わず、自分で出汁から取って食べるのだそうです。 この習慣は子供頃からのものだったと
言うことです。 いやー、立派です。食とは本来そうしたものが、あるべき本当の姿だと思います。
私なんか、安易に市販の麺汁の中に美味いのはないか?と探すくらいです。 (ニンベンより、桃家の方が私は好きです。
ってちょっと評価したりして、、、 でも、鰹節の香りを利かせるにはどうすれば良いの?なんて、悩んだりします。)
プラス思考の時に、異なるメーカーの2種の麺汁をブレンドしてみることくらいしかやったことがありません。自分で、出汁を
とるところまではいきません。
そんなに味覚の感性に優れた知人Bなら、さぞや美味しい店を知っているであろうと期待して、お薦めの麺類の店は
どこかと尋ねました。すると、彼の答えは、「まずい店は判るが、美味しいという店は判らない!」とのことでした。
その後、麺類の話題になると、知人Bは毎回同じことを繰り返し説明してくれます。
「まずい店は判るが、美味しいという店は判らない!」の繰り返しです。
もう何度となく聞きました。でも、その会話からは、何の結論も生まれては来ません。 「まずい」店の情報なら、聞けると
思いますが、私にはそんな情報は不用です。「普通」の店の情報も必要ありません。何かプラスがないと興味はありません。
なので、これを読んでいる知人Bさん、もうこれから麺類の話しはしないことにいたしましょう。
同じ話しをそんなに何度も聞かなくても、私は覚えていますから。
Bさんが「美味い!」と言える店を見付けたら、その時に教えていただけたら幸いです。
私は既にお気に入りの店を数多くナビゲーションの中に蓄えていますので、地域を入力すると、すぐに検索できます。
当然、5段階評価もデータとして入っていますが、それは、ヒ、ミ、ツです。
■ まとめ
最近どうも、A氏やB氏と、私とは味覚の感性が違うのだと思っています。
これをどう考えれば良いかと言うと、話は簡単です。彼らが、美味しいと言う店には行かなければ良いだけのことです。
逆に、私が美味しいと言う店に両氏が行かなければ良いのです。
HPで、美味い?と紹介されていた店に行き、まずい!と思えば、紹介者と自分が違う味覚を持っていただけのことです。
HPで、美味い!と紹介されていた店に行き、美味い?と思えば、紹介者と自分が同じ味覚を持っていただけのことです。
違うなら紹介者のお勧めを避け自分の好みを押し付けない、同じならお勧めに従い自分の好みを相手に薦める。
それで、世の中は丸く治まります。???
でも、B氏が普通だと言い張っていると、何事も、プラス方向には行きません。 普通=0(ゼロ)には、何を掛けても
何時までも何事も起きませんからね。 やはり、世の中何事も、プラス思考がよろしいようで、、、
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