■ 究極的蕎麦道談義
蕎麦は三たて(挽きたて、打ちたて、茹でたて、)じゃなくては! なんて言ってはばからない人もいるようですが、
蕎麦道を窮めようとするなら、、、もっと!とことんとんと、こだわってみるのが、正しい蕎麦道ではないでしょうか?
蕎麦道の奥義を窮めようとするなら、自分の味覚を鍛える蕎麦道があります。これも奥が深いと感じています。
これとは180度 別な方向、自分で蕎麦を打つことに喜びを感じる人なら蕎麦道の奥義を窮めようとして、
蕎麦の産地にこだわります。 「蕎麦は黒姫」に限る!と、日本科学技術大の上田次郎教授が言ってるようにね!
最近は、ネットの通販でとか、直接農家が販売したり、「栽培農家と契約して」なんてことも可能ですから、これを
実現する方法はいろいろあります。世の中には届いたそば粉を見ながら、ニンマリしている人も居ることでしょう。
普通の人はここまでが奥義の限界でしょうが、より究極の蕎麦道となると「自分の為の蕎麦を育てる!」となります。
自分の庭に蕎麦の種を蒔けば、秋には蕎麦の実が収穫できます。 それで収穫の喜びが味わえるので、少しだけ
究極に近づけることになります。
でも、蕎麦道は奥が深いのです。 更に、究極を目指すなら、「自分の手で蕎麦の名産地において、名品種と
呼ばれる蕎麦を育てる!」ことではないでしょうか。
幸い茨城には金砂郷という蕎麦の名産地がありますし、「常陸秋そば」というブランド蕎麦があります。
この「常陸秋そば」は、金砂郷で栽培されていた在来種から、厳選して選び抜かれた品種です。
つまり年月により自然淘汰され、生き残った蕎麦から選ばれし、野武士のようなたくましさを持った蕎麦なのです。
ここでやっと更なる究極の入り口に辿り着きました。次に究極を目指す者としては、場所を決めることが重要です。
蕎麦は山間部で栽培されたものを良しとします。いくら場所が良くても稲作の休耕田では究極にはなり得ません。
ちなみに、この田園風景は金砂郷町です。奥に見える山の辺りも金砂郷町です。町ですが、広いですね。
究極を目指すなら、あの雲の下に行くしかないのです。 おーい!雲よ、なんて言いながらね。

でも、茨城の地元では、道の駅やJAのお店に行けば「金砂郷産」と書かれた蕎麦粉が一年中山積みされています。
金砂郷は小さな町で、蕎麦だけ作っているわけでもないのに、大量の蕎麦粉が売られているのは何故かな?
何かカラクリがあるなぁ。なきゃあ、どう考えても可笑しいもんなぁ。
そんな雑念はともかく、理想とする蕎麦の実を育てるには、、、
山間部の昼と夜との寒暖の差がある場所で晩秋の風の中で実が入り、刈り取りのあと自然乾燥をちゃんとしないと、
究極の蕎麦にはならないのです。そうして実った蕎麦の実は、「小粒ですが、ぷっくら」としてます。
次なる風景も、金砂郷の一コマです。でも、水田と蕎麦畑のアンマッチ! 究極を目指す者としてはまだまだです。

金砂郷で究極の場所は「赤土」です。 究極ですから山間部の斜面での農作業は大変な労力を要します。

ここは春先からタバコの葉の栽培の後に蕎麦を植えていた土地柄です。
蕎麦は痩せた土地じゃないと!とか、蕎麦は焼畑の作を良しとする!なんて、御仁も居るでしょうが、
今やそこまで拘っていては、地球環境に申し訳ありません。何事もほどほどがよろしいようで、、、
それに肥料も無いような場所で良い蕎麦が出来るなら、水だけで蕎麦が出来る理屈ですが、それはない!

蕎麦の実にはカリウムが豊富であり、体の中のナトリウムとなバランスを保ち高血圧を抑える働きが、、、、
そんな科学的な解説はともかく、このカリウムは焼畑の成分なのです。窒素、りん酸、カリ、、、のカリです。
蕎麦だって植物ですから、栄養素は必要とします。 ただ、蕎麦の生命力が他の植物より強いだけでしょう。
どうでしょうか? ここまで、来ればもう究極と呼んでも良いのではないでしょうか?
ここまでこだわる観天望気的条件となると、畑の面積が限られますのでそこで出来る蕎麦の量はしれたものです。
ここで作られた蕎麦が市場に出回る、、、なんてことは、、、、ないなぁ。 そう思うのは私だけかなぁ。
実際問題、ここで栽培された蕎麦の実は「常陸秋そばの種」として高額で取引されます。これ、ここだけの常識!
これでやっと、全てが究極になりましたが、残りは天候です。 こればかりは、お天道様に祈るしかありませんね。
そんな絵に書いたような「究極の蕎麦道」を窮めるって、どんなものなのでしょう? 何せ修行ですからねぇ。
■ まとめ
究極の蕎麦道を目指して、私の彷徨いは果てることなくまだまだ続きます。 to be continue.
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