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■ 写真の世界における人工的な演出と芸術性について知人「N氏」の「カタクリの花に無数の水滴が輝く写真はとても綺麗だ!」との発言から、この話題は始まります!「そんなの有り得ない!」という、私の一言が、、、このあとに続くのです。 また、余計な事を言ってしまった、、、と、ちょっと反省! その訳は、、、読んでもらわないと、理解していただけませんねぇ、たぶん。 では、解説のはじまり、はじまりです。 私のように単に写真が趣味であるような人間には、あまり芸術性ということに対する拘(こだわ)りはありません。 別に、フォトコンテストに出品して、入賞を狙う!ということをしたこともないし、今後もすることはないでしょうからねぇ。 そうは云っても、やはり優れた写真家さんのように「上手く撮ってみたい!」という願望もあるのも事実です。 風景写真の世界では、自然が相手ですから「天に望みを託して!」、、、風水に頼る世界があると思います。 一方、身近にある「草花の写真」の世界では、自然を相手に「天に、、」というほどの世界ではありません。 もちろん、天候的な要素があるのは事実ですが、花は毎年咲きます! 別に、「天に望みを託す!」なんて大げさなことを 云わなくても、良い世界なのです。 と、なるとここはもう「誰でも同じ物が撮れる世界」ということになります。 そんな世界で、自分だけの「オリジナリティ」を表現するとなると、、、これまた非常に、難しいことになります。 花は咲く! それを撮らせられている自分! 写真の世界における蹉跌、、、なる世界がここにあります。 悩める民衆よ! と云うことで、ここで登場するのが、「暗黒面のフォース」なのです。 人工的な演出を加えることにより、他人とは違う「高い芸術性!」を主張出来るのです。 他の民衆には、理解出来ない世界。 それを、「芸術」の名のもとに「オリジナリティ」として、主張できるのです。 え、そんな周りくどいこといくら言われても意味が判らない! そうですねぇ。 じゃぁ、簡単に「まとめ」ましょ ■ まとめ 1.片栗(カタクリ)は、太陽が昇らないと、リップ(花弁)が上向きにカールしません。 |
尾瀬で幕営しま専科 |
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